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大阪高等裁判所 昭和42年(ラ)51号 決定 1967年7月10日

抗告人 斉藤達吉(仮名)

相手方 斉藤信江(仮名)

主文

一、原審判を取り消す。

二、抗告人は相手方に対し婚姻費用の分担として、金二八万九、六八七円を即時に、昭和四二年二月一日から抗告人と相手方が別居生活継続中、一ヵ月金一万円を毎月末日限り相手方住居に送金して支払え。

理由

一、本件抗告の趣旨および理由は別紙に記載のとおりである。

二、抗告理由一、および二、について

民法第七五二条は、夫婦共同生活の本質たる夫婦間における生活保持の義務を定めたものであり、同法第七六〇条は、それに必要な費用の負担者を定めたものであつて、夫婦間の扶助義務と婚姻費用分担義務とは、観念的にはこれを区別して考えることができるけれども、本質的にはその範囲を同じくし、現実に婚姻費用を負担することがすなわち扶助義務を履行していることになり、機能の面では全く同一の事柄を目的とするものであるから、夫婦間の生活費(当然医療費も含む)は、婚姻費用分担の審判、扶助の審判のいずれによつても、これを請求することができるわけである。そして、夫婦の双方がすでに婚姻生活を継続する意思を失い、事実上婚姻関係が破綻し、離婚を望んで別居している場合であつても、法律上夫婦であるかぎり、相互の扶助義務はなくならないのであるから、婚姻費用の負担者は他方に対し、その生活保持に必要な費用を支給する義務があるといわなければならない。もつとも、夫婦間の扶助義務は、本来同居および協力の義務と表裏一体となつて婚姻関係の基盤を形成するものであるから、夫婦の一方が同居、協力の義務に著しく違背しながら他方に対し扶助義務の履行を求めることは、権利の濫用として許されず、相手方は免責される場合があるにとどまる。

原審判の挙示する各資料を総合すれば、抗告人と相手方との婚姻当初から原審判がなされるに至るまでの間における夫婦生活関係の推移、別居の事情、婚姻関係破綻の現状、夫婦双方の資産、収入、職業、生活能力、病状等について、ほぼ原審判の認定と同様の事実を認めることができるのであつて、右事実関係のもとにおいては、夫たる抗告人において全面的に婚姻費用を負担すべきものであり、別居並びに婚姻関係の破綻の責任が主として相手方にあるとも認められないから、抗告人が免責されるとは認められない。よつて、抗告理由一、および二、は失当である。

三、抗告理由三、について

原審判は、相手方が本件婚姻費用分担の調停を申し立てたことにより開始された第一回調停期日において、調停委員会が当事者間に合意が成立する見込がないものと認め、調停不成立として事件を終了させたため、家事審判法第二六条第一項により審判の申立があつたものとみなされ、審判手続における審理を経てなされたものであることは、記録上明白である。そして、調停手続において合意成立の見込があるかどうかは、もつぱら調停委員会が自由に判断するところによるのであつて、当事者がその認定を争うことは許されない。従つて、抗告人が主張するような点について充分な説明がなかつたとしても、前記調停不成立の措置を違法ならしめるものではなく、いわんや原審判を違法とする理由にはならない。この点に関する抗告理由は失当である。

四、抗告理由四、について

相手方に対する昭和四一年八月二五日の審問の結果および抗告状添付の川崎昭一郎作成名義の約定書と題する書面によれば、相手方の父である川崎昭一郎は、相手方を代理して、昭和四〇年一二月一〇日抗告人に対し、相手方に関するすべての治療費を請求しない旨を約定したことが認められるから、同日抗告人と相手方との間で、婚姻費用のうち相手方の治療費については相手方が負担することと定めたものというべきである。

ところで、このように、婚姻費用のうちのいかなるものを夫婦のいずれがどのように負担するかを、夫婦間の協議によつて定めることは、もとより許されるところであり、かかる協議はもち論有効であるというべきであるが、その場合でも、夫婦生活の本質たる夫婦間の扶助義務はいぜんとして影響を受けることなく存続するわけであるから、協議で定められたところに従つて婚姻費用を分担することが夫婦間の生活保持義務の要請に反する結果を招来することとなる場合には、その限度において婚姻費用分担の協議はその効力を失い、協議による婚姻費用分担者は、協議にかかわらず、なお他の一方に対し生活保持のための扶助を請求することができるものと解するのが相当である。相手方は、前記のとおり昭和四〇年一二月一〇日抗告人との間で、婚姻費用のうち相手方の治療費に関する限りこれをみずから負担することを定めたのであるから、右約定はもとより有効であり、少なくとも同日までに相手方に生じ、かつ、その支払を了した治療費(記録によれば、その額は、同年一二月八日支払つた厚生年金病院の初診料、注射代、金六〇〇円、同月九日支払つた大阪大学付属病院の初診料、レントゲン写真料、薬代等金三、八八七円および同病院への往復のタクシー代金四五〇円、以上合計四、九三七円であることが認められる。)については、前記約定に従つて相手方においてこれを負担すべきものであり、抗告人にこれを負担させるべき根拠は見出せない。しかしながら、前記約定のなされた昭和四〇年一二月一〇日当時、相手方は無資産無収入であり、その後右状態に特段の変化が認められないことは、原審判の認定するとおりであつて、このような状況のもとで、同日以降に生じた治療費を、前記約定があるからといつて、これに従つて相手方に負担させることは、夫婦間に生活保持義務を認めた要請に反する結果を招来するものというべきであるから、その限度で右約定は効力を失い、従つて、相手方は抗告人に対し同日以降生じた治療費(記録によれば、その額は、原審判の認定した金二五万一、二九一円から前記の金四、九三七円を控除した金二四万六、三五四円であることが認められる。)を請求し得るものというべきである。よつて、この点に関するる抗告理由は右の限度でその理由がある。

五、抗告理由五、について

抗告人の資産、収入に関する原審判の認定は相当として是認できるから、この点の抗告理由は失当である。

六、そして原審判は、抗告人、相手方双方の資産、収入、生活能力、病状等を総合勘案して、抗告人から相手方に対し、婚姻費用として、(1)昭和四〇年一二月八日から昭和四一年九月二一日までの医療費等金二五万一、二九一円、(2)同年九月二二日から昭和四二年一月三一日までの生活費等金四万三、三三三円、以上合計金二九万四、六二四円を即時に、また(3)同年二月一日以降抗告人と相手方が別居生活を継続中、一ヵ月金一万円の生活費等を毎月末日限り送金して支払うべきことを定めたものであるが、右認定は、前記四、で説明したとおり、右(1)の金二五万一、二九一円を金二四万六、三五四円と変更し、従つて、右(1)と(2)の合計額金二九万四、六二四円を金二八万九、六八七円と変更するほかは、一件記録に徴し、すべて相当として是認できるところであつて、右の点以外これを変更するの要をみない。

よつて、本件抗告は右の限度で理由があるから、原審判を取り消し、家事審判規則第一九条第二項に則りみずから審判に代わる裁判をすることとし、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 小石寿夫 裁判官 宮崎福二 裁判官 松田延雄)

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